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若者のスマートフォン離れ
ところで、デ ジタルネイティブ である上の子が
「スマートフォンなんて喜んで買ってるのは年寄りばかり、私たちは携帯には「単純」な機能か求めていないんだよね」と発言。
このあいだは「私たち世代はツイッターもしないと思う」と言うし。
なんつーか、「当たり前」にネットを享受している世代がみる世界って違うんだな、と驚いたので、とりあえず、記録。

http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20100411

考えさせられます。

私だって、全く新しい配列の「理論的に最適化したキーボードです!」
って勧められても「qwertyが一番慣れてるし」ってなるし
タッチパネルだWiiだと新機軸のゲームが出たけど
私が長く遊ぶのは、結局ファミコン的な持ち方のソフトばかりだったりします。

そのくせ新しいものには飛びつくのが若者だと思っていたし
こういう技術をキャッチアップできる自分若いなあ、とか思っているダブスタ。
そういう一面化や、かつての常識に拘泥していることが
若者の◯◯離れと同じ思考停止に陥っているも同じです。

かつてパソコンは本当にマニアかエンジニア向けのもので
近年は一般の人でも使いやすいように改良されていきました
いつから使いやすさ、分かりやすさをおろそかにし始めたんだろう?
クラウドだとかソーシャルだとか息巻いてみても、
実はサービスの本質は何も変わらないのかもしれません。

かつて針仕事や包丁の扱いが当たり前だったように
携帯やPCでのコミュニケーティングが当たり前なのが今の若者です。
彼らがピーラーやミキサーをほしがるか、よく切れる包丁だけですべてをこなすか、
結局選択肢は彼らにしかありません。
そういった部分を見失わずにいられれば
国内の携帯もまだまだしっかりした需要を得られるのかもしれませんね。
author:ピザ男, category:スマートフォン, 13:08
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radikoと仲良くね
ネットでラジオが聞けるradikoというサービスが反響を呼んでいます。
ピザ男も野球中継がきけるということで重宝しております。

ただ、目下試験放送なんですよね。
関東と関西だけのサービスで、
プロバイダ情報を元に関東か関西であると確認できないと
このサービスは利用できない、ということになっています。
他の地域は今のところ公式には使えません。

これは田舎者に嫌がらせをしているわけではなくて
放送法という法律に基づいて区分けをきっちり行いなさいという
現行法の制限によるものです。

イレギュラーに対応区外から聞く方法やアプリもあるようですが
残念ながらそういうのも徐々に対策されるような流れです。
それに対して「ラジオ局はなんて傲慢なんだ」という意見もありましょうが
法律の縛りは視聴者がごねても局長がごねても
いかんとも覆し難いのです。

本音は区域外からだってラジオ局からしたら十分嬉しい視聴者ですよ。
だからこそ放送法改正の流れを待たずに、
区域の区切りについてもアバウトな現状で見切り発車したんです。
視聴者が求めるべきことはただ一つ
ラジオ局が取り付けるべき意見はただ一つ
放送法の改正です。
Web放送に例外規定をひとつ取り付けるだけでいいんです。
そういう方向に世論を持っていくのがこの試験放送では一番だと思います。

「どんだけ区域外を弾こうと思ってもイタチごっこです!」
「ラジオ聴取熱は近年にないほど高まっています!」
ってなればお上に投げて結果を仰ぎ
大手を振って全国放送への道も示されるかと思います。

それまでは、馴れ合わず、憎しみ合わずで
大人な距離感を保っていければなと思っております。
radikoとなかよくね。
author:ピザ男, category:ニュース, 23:04
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無縁死についての番組
http://www.nhk.or.jp/special/onair/100131.html
自殺率が先進国の中でワースト2位の日本。NHKが全国の自治体に調査したところ、ここ数年「身元不明の自殺と見られる死者」や「行き倒れ死」など国の統計上ではカテゴライズされない「新たな死」が急増していることがわかってきた。なぜ誰にも知られず、引き取り手もないまま亡くなっていく人が増えているのか。「新たな死」の軌跡を丹念にたどっていくと、日本が急速に「無縁社会」ともいえる絆を失ってしまった社会に変わっている実態が浮き彫りになってきた。「無縁社会」はかつて日本社会を紡いできた「地縁」「血縁」といった地域や家族・親類との絆を失っていったのに加え、終身雇用が壊れ、会社との絆であった「社縁」までが失われたことによって生み出されていた。

いや、見てないんだけどね。
だので憶測で書いてる部分多々あり。
不景気とか雇用の不安とか外部要因はまあ知ってのとおり。

「結婚できないと家族も持てないし出世もできないし
子供に介護もしてもらえないし孤独死まっしぐら!」
なんて御託は耳にたこができるほど聞いてるかと思う。
無縁死が生物としていかに不憫で哀れかという論調だとしても
氷河期以降は意外と冷静に捉えてるかと思う。

年上の世代からは生活力に欠ける世代だとは思う。
自己のせいか社会のせいか収入も激減してるし
でも、愚痴ってどうなるわけでもないしさ
極論を言えば馬車馬のように働いて過労死か
普通に働いて緩慢に孤独死か
下流にいる人間はその二択なのよね。

無理に愛する人、愛しい子供を持って彼らを巻き添えにするか
自分ひとりで物事を抱えるように人生を調節するか。
一応は情を持っているんだから
妻や子供をくびりたくはないよ。
結婚に踏み切るなら妻は専業主婦でやっていけるようにしたいし
子供は望むなら大学まで出してやりたい。
でも、実際自分の力量ではそれは叶わない。
自分の人生に責任を取れるギリギリの範囲で
独身の人生を選んでるのだと思う。

今の若者は結構シビアに上の世代を見てるんですよ。
定年後の熟年離婚が個々の問題ではなく社会的構造によるものだと知っているし
介護が受けられるか否かという老人に手は差し伸べるけれども
自分たちが将来厚遇される立場にないことも知っている。
親の世代はかなりの好景気、経済成長だった。
それだけの将来性をもってしても子供はこのような人生になってしまった。
自分たちの未来に覚悟があるからこそ
安易な決断は自分の子孫がより一層辛い目に会うんじゃないかと
そういう呵責にはまっているんじゃないかと思います。

でだ。急にマクロな話ですが
悲観的な彼らを「じゃあ勝手に死ねよ」で棄民化したらどうか。
彼らは大きな声も上げないでしょう。
静かに数を減らしていきます。
もちろんそこに大きな人口のポケットができます。
個体を減らすだけでなく彼らは子供を産みません。
つまり彼らの子供の世代もポケットになります。
民主主義において数を減らすというのは力を失うのと同義です。
つまりこの世代の子供も孫も曾孫も
民主主義での棄民となるカーストな存在となります。

すべての謂れに対して黙して受け止める世代。
年上からなじられる世代。
年下からは日本凋落の元凶と責められる世代。
ただ日本国を憂いて日本国のためにマイナスの感情を抱きとめて
何もいわずただ消え去る世代。
国粋なんてヘドが出ますが、身の回りの平和な笑顔のために
自分の将来や命を投げ出せる世代。
これが日本国最後の侍世代かもしれません。
かつての日本のサムライスピリッツに惹かれる若者が多いのは
そういう要因があるのかと思ったりします。
author:ピザ男, category:ニュース, 23:12
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